行列の並び

先頭 マーチングバンド

市内の小・中学生を中心に構成されています。行列の先頭を彩ります。

歴史文化行列

長岡京市内には日本の古代から中世、近世にいたる歴史の主要舞台の一つとなった多くの歴史的資産があります。小学校区ごとにゆかりのある人物に扮し、時代を越えて玉の輿入れを祝うという行列です。














































お輿入れ行列

祭のメインとなる明智玉の細川忠興へのお輿入れ行列です。
当時、乙訓地域一帯を治めていた戦国武将、細川藤孝の長子忠興のもとへ坂本城からお輿入れをした様子を再現しています。(人物相関図は、こちら









































町衆祝い行列

現代の長岡京市民が”町衆”として、玉のお輿入れをにぎやかに祝います。

    




















































































輿




輿

















長岡京なるこ踊り

全小学生や市民チームが参加して繰り広げられる鳴子踊りの路上パフォーマンスは圧巻です。

行列の詳細

先頭行列

大河誘致キャラバン隊
ガラシャとその父・光秀を主人公とするNHK大河ドラマの誘致をPRする。協力団体:乙訓戦国つつじ

歴史行列

継体天皇 [古墳時代 507年~531年]
第26代天皇
518年に遷宮された当時の都。弟国宮は今里・井ノ内にあっただろうと言われています。
藤原継縄・百済王明信 [長岡京時代 727年~796年]
右大臣
扶桑略紀によれば、長岡の神足の家で維摩会を修したと記されています。 この神足の家は、藤原是公または、継縄の邸にあてる考えがあります。
藤原基経[平安時代 836年~891年]
公家
伊豆の国市の寺伝によると大極殿炎上の責任で伊豆に流され、長岡を偲んで「長岡」の地名をつけたといわれています。
菅原道真[平安時代 845年~903年]
学者であり政治家
早くから漢詩文を学び、大学に入って日夜勉学に努め、貞観 19年文章博士となります。長岡天満宮に奉られています。
清少納言[平安時代 964年~966年]
清少納言という名は一条天皇に仕えることにより与えられました
随筆「枕草子」の中に、「・・・鞆岡はささがおいたる・・・」 と書いていあります。
熊谷次郎直実[鎌倉時代 1141年~1208年]
平敦盛を討った武将
法然の門下となり蓮生と号し、粟生で草庵を結び、念仏三昧院(のちの光明寺)と名付けました。
承明門院[鎌倉時代]
土御門天皇の生母
金原寺を造り、土御門天皇の遺骨を葬ったといわれています。
細川頼春[南北朝時代 1299年~1352年]
南朝方の第一線である男山に対抗するため、弟師氏(のちの豊財)とともに歴応2年(1339年)勝龍寺城を築きました。
永井直清[江戸時代]
寛永10年(1633年)、乙訓等2万石を領しました。長岡京駅周辺に城館を築き上方民政の要務にあたりました。
桂昌院[1624年~1705年 江戸時代]
五代将軍綱吉の生母
仏教に帰依し、乙訓寺の荒廃寺社の復興に努めました。

お輿入れ行列

松井康之
安土桃山時代の武将
細川幽斎、忠興に仕えた重臣でした。永禄11年9月、 細川藤孝が勝竜寺城を奪回したとき功をあげ、城下に屋敷を与えられるとともに、 幽斎の養女と縁組しました。 以後、細川家に一門格の筆頭重臣として仕えました。
細川忠興
細川藤孝の長子
天正5年(1577年)父 藤孝とともに、織田信長に従軍し、摂津・播磨・丹波・丹後方面に転戦し、天正6年8月に明智光秀の娘「玉」を妻に迎えました。
本能寺の変では、直ちに信長に対する弔意を表し、反光秀の行動を示しました。
細川 玉(後のガラシャ夫人)
明智光秀の三女
16歳の時に坂本城より、勝(青)龍寺城主、細川藤孝の息子 忠興に嫁ぎました。本能寺の変以後は丹後味土野の地に幽閉されるなど苦難の生活が始まるお玉ですが、短いながらも人生で最も華やいだ、幸福な新婚時代を過ごしたのが、 長岡京市の龍竜寺城でした。
清原マリア
大外記清原枝賢の娘
細川ガラシャ夫人の侍女となり、セスペデスより受礼し 「マリア」となりました。 夫人をも感化し、玉は「ガラシャ」となるのでした。
細川藤孝(幽斎)
安土桃山時代の大名
永禄11年の信長入京の際には朝廷の警備にあたった他、岩成友通の篭る勝龍寺城を攻略し、同城を与えられました。 本能寺の変では光秀には協力せず秀吉につき、丹後田辺城主となります。
歌人としても知られており、勝龍寺城殿主(天守)において、三条西実枝より古今集切紙を伝授されました。
細川麝香
沼田光兼の娘
細川藤孝の妻となります。忠興の母。 勝龍寺城の沼田丸は、麝香の実家の沼田氏の郭とも言われています。
明智弥平次
明智光秀の甥で女婿
明智一族の中でも武勇に優れた武将。光秀敗死後に坂本城に入る際、敵軍勢の包囲網をかいくぐるために大津から唐崎に至る琵琶湖の遠浅を大鹿毛の名馬に乗って渡りきったという「湖水渡り」の伝説も残しています。
明智光秀
安土桃山時代の武将
足利義昭の臣となり、のち織田信長に従います。 天正10年、信長の命で備中高松城へ向かう途中、本能寺の信長を急襲します。しかし、山﨑の合戦で秀吉に敗れ、小栗栖の山中で自刃します。
明智熙子
明智光秀の妻
光秀がまだ浪人時代のころ、接待役に抜擢されたのですが、 裕福な暮らしではなかったたために非常に困りました。 熙子は自分の髪を売って金を工面し、夫の面目を保ったという逸話でも知られています。

町衆祝い行列

長岡京市議会議員団
第25回長岡京ガラシャ祭を記念して、「町衆祝い行列」の一員として、お玉の輿入れを祝福します。
アーリントン委員会
長岡京市友好交流協会の委員会
姉妹都市・米国アーリントンとの友好交流活動を行う市民団体。
開拓時代の衣装に身を包み、活動をPRしながら歩きます。
寧波委員会
長岡京市友好交流協会の委員会
友好都市・中国寧波市との交流活動を行う市民団体。
遣唐使の時代から交流の深い寧波市の魅力をPRしながら歩きます。
伊豆の国委員会
長岡京市友好交流協会の委員会
姉妹都市・静岡県伊豆の国市との交流活動を行う市民団体。
世界遺産の韮山反射炉など市の魅力をPRしながら歩きます。
長岡京市観光協会
各種観光まつりの開催や新しい観光名所づくり、観光案内書の運営、筍堀り体験や特産物販売など、様々な観光振興活動を行っています。
長岡京音頭保存会
長岡京市のふるさと音頭である長岡京音頭の普及と継承を目的に昭和50年に設立。
40周年を迎える今年は、地域を盛り上げるべく踊りコンテストを企画しています。ぜひご参加ください。
長岡京市少年少女合唱団
年少児から高校生までで構成され、仲良く、楽しくをモットーに活動しています。長岡京市のアイドルとして市内各イベントに参加しています。
立命館中学校・高等学校
中学校・高校で約1700人の生徒が勉強や課外活動に励んでいます。
今回は、高校生徒会のメンバーが祭を祝い、皆さんと一緒に盛り上げます!
朝のルーシーダットンの会
バンビオ広場公園で日曜朝7時から無料にてタイの国の仙人体操で健康づくりをしています。
勝竜寺神輿会
地域の神輿会。 子孫繁栄、五穀豊穣、また、商売繁盛、家内安全を祝って、毎年亥の子の行事を行っています。
古市神輿会
地域の神輿会。 平成3年から毎年小倉神社の春祭りに合わせ、住民団結のシンボルとして、多くの子供たちや大人の参加のもと、地域内を巡行しています。
一里塚幼稚園
神輿は子ども達の手によって作られ、園内では五歳になるとガラシャ祭で神輿を担ぐという意識が生まれており、子ども達も楽しみにしています。
京都橘高等学校吹奏楽部
「元気いっぱい、笑顔いっぱい、夢いっぱい」を合言葉に活動しています。全日本マーチングコンテスト13回出場。金賞を受賞。

なるこ踊り